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オープン秘話

前編

オンラインショップozieがスタートしたのは2002年。
今でこそみなさんオンラインショップで買い物をされますが、当時は「インターネットで服なんか売れるわけがない」と多くの方から反対されました。
それでも私がozieをオープンさせたのは、いいシャツを安くみなさまに直接ご紹介したいという思いがあったからです。

今回のコラムでは、ozieオープンにいたるまでの出来事や、個人的な思いについてお話したいと思います。

アルバイトで接客の面白さにはまる。
それがB to Cモデルのもとに
大学時代の2年間、文具で有名な伊東屋でアルバイトをしました。
若い学生の私がなぜか高級筆記具売り場を担当することに。
そこで、商品の背景を知る面白さを実感し、物オタクになりました(笑)。
もうひとつ面白いと感じたのは接客です。
高級筆記具をお求めになるお客さまがお相手ですから、知識はもちろん、話し方や姿勢、物腰にまで気を配りました。
そして、お客さまと接する仕事が好きだと気づいたのです。
のちにozieが、百貨店や店舗に対してシャツを売るB to Bではなく、
お客さまに直接シャツを売るB to Cを選ぶことになるのは、こうした経験からです。
また当時の伊東屋では、ラッピング材料を買ってくださったお客さまに、他店で買った商品であっても包装をするというサービスを行っていました。クリスマスやバレンタインの時期には大量のプレゼントが持ち込まれ、あらゆる形に対応するラッピング技術を覚えることができました。
このときの経験は、後に就職するバーニーズニューヨークや、ozieでのラッピングサービスに生かされることになります。
そもそも私自身がラッピングをしたことがなければ、ラッピングサービスを思いつかなかったかもしれません。
さらに異業種の接客に挑戦。
対話の大切さを学ぶ
大学時代の後半の2年間は、セントラルフィットネスクラブで接客を担当しました。
私はアメフトをやっていましたから、体を鍛えることに興味があったのです。
フィットネスクラブには若者から高齢者まであらゆる世代のさまざまなお客様がくるので、担当者は話題が豊富でなければいけません。
専門的な筋肉の話から、時事ネタ、個人的な話まで、どんな話題でもついていけるよう新聞を読んだり雑誌に目を通したり、つねに情報を収集していました。
世代が違う人と話すのは楽しいものですね。とくに年上の方は話をふくらませることがお上手なので、話術の勉強にもなりました。
このときの経験がさらに接客への興味を深くし、お客様との対話を大切にするozieの姿勢へとつながっていったのだと思います。
頭がまっ白
就職面接で落とされる
就職活動の第1志望は伊勢丹でした。当時、ファッションといえば伊勢丹だと思っていたからです。
最終面接まで残ったものの、どうしても入りたいという思いが強すぎて緊張し、頭がまっ白に。その結果、あきれるくらい簡単な質問に答えられず、落とされてしまいました。
落選がわかったとたん、楽観主義の私もさすがに落ち込み、一日部屋から出ず、ボーっとしていたのを思い出します。
第2志望はバーニーズニューヨークでした。
バーニーズは入り口にドアマンを立たせ、入りにくい雰囲気をあえてつくっていました。
面接で志望動機を聞かれた私は「ドアマンがいて入りにくい。敷居が高い。そんな店で働いてみたい」と答えました。
どうやらその思いが気に入られたらしく、採用が決定。
ブランド物やフォーマルを中心とした、メンズアイテムの接客を経験することになります。
第一志望を落ちたおかげで、今がある
バーニーズに入ってよかったと心の底から思います。
第一志望を落ちたことは、今思えば幸運でした。
当時のバーニーズでは社員がすべての業務を行っていましたから、買付け、商品管理、接客、顧客管理など、服飾の販売に必要なすべてを一貫して学ぶことができたのです。
このときの経験は、ozieの立ち上げ・運営においてものすごく役に立っています。
また、バーニーズでの経験によって、接客や販売がますます好きになりました。
お客さまの中には「柳田くん、いる? いないなら、また来るよ」と私のコーディネイトを頼りにしてくださる方々もいらっしゃいました。
そして、人が人に商品を売ることの根本には、信頼があることを知りました。
こうして一つひとつ、今のozieの基となる価値観が私の中に構築されていったのです。
家業を継ぐため、シャツづくりの道へ
バーニーズニューヨークでの業務にはやりがいを感じていました。
しかし、私には新たな目標が生まれていました。
衣料業界が縮小するなかであっても、家業のシャツづくりを継続・発展させたい。
創業者の代から数えて、私は4代目に当たります。
誠実な商売を続けてきた歴史を、時代の流れとともに終わらせたくはないと思ったのです。
同時に、いいシャツを低価格で提供したいという思いが強くありました。
私自身、バーニーズでスーツやシャツを買うと、給料の多くがなくなってしまうことがありましたから。
限られた予算内でのやりくりには頭を悩ませました。
いい物を安く売りたい。それには直販しかない、と考えました。
これまでの道のりをふり返ってみると、人生で経験したことすべてがozieでの業務に役立っていることに気づきます。
人生において、ムダなことなんて何ひとつないんですね。
前途多難なozieのスタート
バーニーズニューヨークを退職し、父が経営する柳田織物に入社した私は、シャツづくりを続ける一方、オンラインショップのオープン準備に追われていました。
当時は、「衣料品はインターネットでは売れない」という意見が圧倒的でした。
洋服は着てみないと自分に合うかどうかわからないし、サイズはメーカーやデザインによって微妙に違う。生地や風合いはディスプレイでは伝わらない。そう考えられていたのです。
しかし私は別の見方をしていました。
リアル店舗での接客は「1人対1人」。しかしネットを使えば「1人対複数」での接客が可能になると考えたのです。
実際に、伝えたいことを文章や写真にしてサイト上に掲載すれば、大勢のお客さまに同時に話しかけているのと同じです。
またメールで寄せられたご質問には、一定時間以内にお返事するとルールを決めれば、かえって臨機応変な接客ができます。
そのことに気づいたとき、「オンラインショップは絶対にいける」という確信を持ちました。
そして私は周囲の反対を押しきり、オンラインショップozieをオープンさせました。
ところが、立ち上げてからしばらく、シャツが売れない日が続いたのです。
どうやってオンラインショップを軌道に乗せたのか。
シャツが売れるようになったのはなぜか。
続きはozieオープン秘話・後編でお話しさせてください。
続きはこちらをクリック後編はこちら

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